
全てはここで日本酒を造り続けるため
糸魚川市「渡辺酒造店」
2025.12.22
日本全国どこの酒蔵も、日本酒の元になるお米「酒造好適米(以下「酒米」)」を仕入れてお酒を造っています。近年、地元産の酒米を使用したり、酒米を自ら育てて一部の酒造りに使ったりする蔵も登場していますが、自分たちで育てたお米だけで全量を造る酒蔵は、実は、日本でここだけ。新潟県糸魚川市、「根知男山(ねちおとこやま)」を代表銘柄に持つ「渡辺酒造店」以外にないそうです。
なんてこと!知らなかった!私たちナチュレ片山とも長いお付き合いをしていただいているのですが、今更ながらそのすごさに驚きました。代表の渡辺さんに詳しいお話を伺うべく、糸魚川市の知男谷(ねちだに)へ向かいました。

向かった場所は、糸魚川ICのすぐそばを流れる姫川沿いに、国道148号を川上へ10分ほど走ったところ。途中、姫川の支流である根知川との合流地点で左折して1分ほど走ると、先ほどの立派な「豊醸蔵」が見えてきます。
「豊醸蔵」を、少し遠くから見てみるとこんな感じ。

この写真を撮った場所の背後には、根知川が流れています。川を挟んだ左右には、このように青々とした田んぼが広がる静かな山間の集落。ここが、渡辺酒造店さんが米作りと酒造りを行っていらっしゃる「根知谷」です。
「ここは、おいしいお米がとれる条件がそろっているんですよ」
と話すのは、合名会社渡辺酒造店の代表社員、渡辺吉樹さん。

渡辺酒造店さんは1868(明治元)年創業。2003(平成15)年に米作りを始められ、2023(令和5)年に全量自社栽培米での日本酒造りを達成されています。この実現に向けて尽力されたのが、2001(平成13)年に代表社員となった6代目蔵元の渡辺さんでした。
「おいしいお米ができる条件っていうのは決まっていて、まず、山からの雪解け水が豊富にあること。次に、その水が常に流れてゆっくりと入れ替わる、緩やかな傾斜地であること。そして、この根知谷の環境をさらに良くしてくれているのは、谷に吹く風。谷に吹く風は、必ず川下から川上へ、もしくは川上から川下への一方向だから、稲がねじれずまっすぐ育つんです」

この夏は近年まれに見る少雨の年で、ちょうど取材に伺った日も、上越市では節水要請が出ていたのですが、ここでは無縁とのこと。
「私たちがここで米作りをすることで、この風景・この環境が保たれている。まぁ、それも結果論なんだけどね。結果としてこうなって、良かったと思っています」
あ、あれ…?そうなんだ…!
てっきり「この景色を守りたくて」とか「生まれ故郷の環境を守るために」という意向で、米作りを始められたものとばかり思っていましたが、あれ…?違うんですね(笑)。詳しいお話を、「豊醸蔵」2階の会議室で伺うことにしました。
まず、我々取材班の間違った思い込みが1つ。渡辺さんは婿養子さんでした。てっきり、「代々続く渡辺家の跡取りとして、幼き頃から酒造りの道を…」というお話かと思ったらそうではなく、お見合い結婚で渡辺家に婿養子として入られたとのこと。それが26歳の時。結婚と同時に移住・入社。それまでは、東京で金融のお仕事をされていたそうです。

「エライ婿をとってしまった…と思ったでしょうね、親も嫁も(笑)。いろいろやりましたからね」
と、笑う渡辺さん。
なるほど。
渡辺酒造店さんには、「婿による大改革」があったんですね。
「全ては、ここで酒造りを続けるため。そのためにすべきことを、粛々とやってきたつもりです」
ご出身はここ根知谷より少し東、同じ糸魚川市内の早川谷(はやかわだに)とのことで、地理的な馴染みはあるものの、家は農家で酒造りには無縁だった渡辺さん。その渡辺さんが結婚・入社されて初めて知った酒造りの世界。どうやらその時に感じられたことが、全ての原動力になっているようです。
「私が入社した当時はまだ、杜氏制度が当たり前の時代でしたから、酒造りは冬になると蔵にやってくる杜氏集団の皆さんにお任せしていました。ただ、“これはもう長くは続かないな”と思いました。季節労働者ですからね。時代に合わなくなっていましたし、若い人はやりたがらないだろうと。案の定、昔から依頼していた杜氏の後継者はおらず、このままでは酒が造れなくなることが目に見えていました」
と、入社当時を振り返る渡辺さん。

杜氏制度とは、酒造りの最高責任者である「杜氏」と、その指示のもと酒造りに従事する「蔵人」によって構成される、日本の酒造りの伝統的な生産体制のこと。毎年冬になると蔵元は杜氏に酒造りを依頼し、杜氏は複数の蔵人を引き連れて蔵に入ります。杜氏や蔵人の多くは冬場に農作業ができない農業従事者。冬にだけ酒造りを行う「寒造り」が主流になった江戸時代から、この制度が定着したと言われています。
「なので、お世話になった杜氏の引退に合わせて、杜氏制度は廃止しようと思いました。自分たちで酒造りができるようにしよう、と。あと、取引先の新規開拓のために県外営業にも出てたんですけど、その時にいつも違和感があったんです。日本酒を扱う人たちは、なんでこんなに偉そうなんだろうって(笑)」
と、言うと…?
「当時はちょうど“地酒ブーム”が巻き起こっていて、地方の地酒が東京でも売れるようになっていました。その後に続く“吟醸酒ブーム”もあって、とにかく精米歩合だとか酵母だとか、作り手が消費者に価値を押し付けるようなきらいがあった。だから入社した頃の私なんて、お酒に詳しくないもんだからバカにされて、“そんなことも知らないのか、この酒飲んでみろ”とか言われてね。これはなんなんだと。お酒って、もっと自由に、消費者が選んで楽しむものじゃないのか、と」

なるほどです…。確かに、日本酒って難しい印象があります。よく知らないのに、日本酒についてしゃべっちゃいけないような感じ…。
「でしょう?そうじゃなくて、もっと単純に、自分がいいなと思うお酒を選んで、飲んで、好みじゃないな、と思ったら、“じゃあこちらはどうですか?”って、造り手である我々も気軽に勧められるものがいいと思うんです」
入社直後に感じたこの危機感と違和感が、この先の渡辺さんの婿改革の大きな柱になっていきます。
「それに当時、酒蔵が競い合っていた技術は、“いずれ限界が来る”とも思っていました。技術よりも個性が必要。日本酒には個性が欠けている。究極、誰にもまねできない個性ってなんだろう?と考えた結果、行きついたのは“土地”だったんです。だから私はここ、根知谷にこだわっています」
渡辺さんによる渡辺酒造店の婿改革が本格的に始まったのは、1991(平成3)年30歳の時。当時社長だった義父に呼ばれ、「先のことは任せる」と言われた渡辺さん。しばらく時間を頂いたのち、「ぜひ、酒造りを続けさせてください」と返答されたそうです。そして、その申し出と共に、事業の存続には会社の構造改善が必要であることを伝え、必要資金の調達をお願いしたとのこと。
「ここが当社の構造改革のスタート。人と設備、両方のテコ入れを始めました」
渡辺さんが進めた構造改革は、今後の人手不足を想定し、ハンドメイドを大切にしながらも、機械化・省力化を進めるものでした。

人づくりに関しては、杜氏が引退する2000(平成12)年を見据えて、社員で酒造りができるように、自らを筆頭にノウハウを修得。杜氏引退の翌年2001(平成13)年には杜氏制度を廃止し、社員による酒造りを開始。酒造り要員として新入社員も迎えました。
その後、2003(平成15)年には、自社にて米作りを開始。
「私が代表社員になった2001(平成13)年には、すでに酒米の慢性的な不足と品質低下が問題になっていました。その対策として、1997(平成9)年から直接契約栽培を地元の農家7軒と始めていましたが、その全てに後継者がいなかったため、最終的には全て当社でその田んぼを引き継げるようにと考えました。そこでまずは、社員が所有していた田んぼ1枚を借りて始めました」
田んぼ1枚から始めた米作り。
今では「豊醸蔵」の目の前から川上にしばらく続く田んぼは、ほぼ全て渡辺酒造店さんの自社田んぼで、合計約110枚。家族3人と地元採用の社員さん4名で、お米作りとお酒造りの両方をされています。
「耕作している田んぼは全て、農家さんが高齢になって稲作をやめるタイミングで引き受けてきました。全量自社栽培米での酒造りを達成した2023(令和5)年は、最後の農家さんからの田んぼを譲り受けた年です」

食用の米でさえ、不足が叫ばれるようになった2025年の今であれば、私たちも身に染みてよく分かります。20年以上前からこうなることを分かって行動されていた、渡辺さんの先見の明に驚きを隠せません。
「よく言われましたよ、私は時代の先を行き過ぎるって。だから周りに理解されないんだって(笑)。自分たちで米作りを始めた頃も、“米は買えばいいのに”って散々言われましたからね」
と、笑う渡辺さん。
「でも、米農家が減っていくことは明確でしたからね。だから、酒造りをするなら、米も自分たちで作らなきゃいけない。お米がなくちゃ、お酒は造れないんだから。ここ最近の米不足で、よく他の酒蔵から言われるんですよ、“おめぇさんとこは米があっていいな”って。そりゃあ、こうなることを見越してやってきたからね!(笑)」
入社当時から「日本酒には個性が欠けている」と感じ、「究極、誰にもまねできない個性ってなんだろう?」と考えた結果、行きついたのは「土地」。「だから私はここ、根知谷にこだわっています」と語る渡辺さん。
その強い想いは、「根知谷で自分たちが育てた酒米100%で造るお酒」という商品を作り上げただけでなく、それを売る場所、感じてもらえる場所づくりへもつながっていました。2018(平成30)年に完成したここ、「豊醸蔵」がまさにその場所。

商品出荷のための場所(出荷管理棟)が必要だということで、出荷管理機能を備えた、ゲストを迎えるにふさわしい場所をここにつくろうと、渡辺さんが奥さまと一緒に考えたこの建物。根知谷の自社所有林から木を切り出して、地元の製材所で製材し、地元の大工さんに作ってもらったそうです。



「古くなればなるほど、味の出る建物にしたかったんですよね。それに、根知のもので、根知の人の手で作ったものにしたかった。木を切るところから一貫して根知にこだわったので、足掛け5年かかりましたが、つくっておいて良かったです。今では製材所も廃業してしまったし、大工さんもいない。でもこの建物は、100年後も残る。100年後にも、根知谷の木と技術を残すことができるんです」
建具や家具の色や質感、ひとつひとつにこだわりが見えて(取材に使わせていただいたテーブルも、ものすごく良い質感の木でした!)、お話を伺いながら人知れず感動していたのですが、そんな私の感動が浅はかに感じるほど、深いお考えを持って建てられたものだと知り、衝撃を受けました。
確かに、人はいなくなってしまう。
技術も、その人と共になくなってしまう。
でも、その人が作ったものは残り続ける。

「息子に引き継ぐことを、考え始めたことも大きかったですね。息子が、これからの人が、ここでの酒造りを続けたいと思えるようにしておきたい。外に出た息子や娘が、ここに戻ってきたいと思える場所にしたい、そんなことを妻と一緒に考えて、あれこれと整えてきました。ここも、その1つです」
と、渡辺さん。
さらに驚いたことに、この建物、設計士さんがいないんだそうです。「昔ながらの日本建築だから、基本的な部分は大工さんに任せて、そこにあれこれと夫婦で考えたものを当てはめていっただけ」とサラッと仰っていましたが、いやいや、なんて素晴らしいセンスをお持ちなんでしょう…!
渡辺酒造店さんを訪ねられたら、ぜひこの「豊醸蔵」という建物自体にも注目してみてください。
ここまでお酒の話を全くしてきませんでしたが、実は渡辺さん自ら「お酒の話はあまりしたくない」と仰るんです(笑)。面白いですよね、お酒の話をしたがらない酒蔵さん。渡辺さんの口からよく出てくるのは、根知谷の話やお米の話。でも唯一、こちらの「ヴィンテージ入り(年号入り)のNechi(ねち)」についてはアツく語ってくださいました。

「ワインは、原料のブドウができた年をヴィンテージとして表示しますよね?でも日本酒にはそういう文化はなくて、原料の米ができた年はあまり気にされないんです※。でも、うちは何よりも原料の米にこだわっているから、それだと良さが伝わらないですよね?だから、日本酒だけど、原料の米の収穫年を示したヴィンテージを入れることにした。ハーベストイヤーを採用しているってことです」
※日本酒業界では、7月から翌年6月までを1年度とし、その年度に醸造されたお酒として「ブルワリーイヤー」が一般的に採用されます。
…ということは、一般的な日本酒にはできない楽しみ方ができる、ってことですか?
「その通りです。その年によって米の出来は違うから、それが反映されたお酒ができる。また何年か寝かせると、違いが出ておもしろい。同じくハーベストイヤーを基準に造られている、ワインのような楽しみ方ができます」
なるほどです!一般的な日本酒はその銘柄の味が年によって変わらないように調整しますが、ヴィンテージ入りのNechiは、むしろ「年によって変わること」を楽しむお酒なんですね!毎年のお米の出来によってお酒の味わいも違うので、発売開始から個性が出ている年もあれば、熟成させた方がより個性が開く年もあるそうです。


以前、ヴィンテージの違うNechiを飲み比べさせていただいたことがあるんですが、その年の個性と熟成によって違った味わいがあり感動しました。こんなにも違いが出るんだという驚きと、こうやって同じ銘柄でもヴィンテージによって違った楽しみ方ができる日本酒っておもしろいなと。Nechiは根知谷という土地が作り上げた、「その年の個性」が詰まったお酒なんだと実感しました。
「根知谷産の米と水にこだわっているところがうちのお酒の個性なので、最終的には、うちの酒を飲むと根知谷の風景が浮かび、その景色を楽しみつつ飲んでいただけるようなお酒になるといいなと思っています」
と、渡辺さん。

「個性は土地に宿る」
「お酒は自由に楽しむもの」
38年前、日本酒業界に飛び込んだ若き渡辺さんが感じた危機感と違和感が、今、この2つに集約されてきたんですね。渡辺さんが根知谷にこだわる理由、酒造りについては多くを語りたくない理由、少し分かったように思います。
最後に、渡辺酒造店さんが有名な、もう1つの理由をお伝えして終わります。
それは、渡辺酒造店さんはフォッサマグナの西端に建っていて、敷地内に東西別々の地層があり、その境目が敷地内を横断しているということ!

フォッサマグナの西端である「糸魚川-静岡構造線」の断層が露出している場所、東と西の地層が両方見られる「フォッサマグナパーク」も、根知川を挟んで渡辺酒造店のすぐ向かいにあります。地質学的に大変珍しい場所にあるため、こちら関連の問い合わせや見学も後を絶たず、あの『ブラタモリ』にも出演済みです(すごい…!)。

糸魚川に行かれた際は、ぜひ根知谷に足を延ばして、渡辺酒造店さんの「豊醸蔵」を訪ねてみてください。近くのフォッサマグナパークとダブルで、大地の躍動を感じられるはずです!そして、根知谷が色濃く感じられる「ヴィンテージ入りNechi」も、ぜひお楽しみください。(ナチュレ片山でもお買い求めいただけます♪)
(2025.8.7取材)
ナチュレ片山 本店